古銭知識

大判は買取でいくらになる?大判の価値と買取相場

大判

大判小判という表現が世間一般ではありますが、大判と小判は本来別々の貨幣です。その中でも大判についてご紹介したいと思います。

形状としては楕円形で大型のものを指し、小判が「金」と呼ばれるのに対して大判は「黄金」もしくは「大判金」と呼ばれます。

中でも豊臣秀吉が命じて造らせた天正長大判は、現存する世界最大の金貨として名高いです。それでは大判の価値、さらには買取相場を見ていきましょう。





大判小判の「大判」ってどんな古銭?

大判

戦国時代頃までは砂金が大口取引に用いられていましたが、戦国時代になると金山の開発が活発になり、金塊を槌で叩いて伸ばした判金が生まれました。そして天正16年(西暦1588年)に豊臣秀吉の命で後藤四郎兵衛家が貨幣として規格化されたものを製造したのが始まりとされています。

後藤四郎兵衛家は安土桃山時代には主に豊臣家の、江戸時代には徳川家の大判の鋳造を文久2年(西暦1862年)まで請け負いました。

このような歴史を誇る大判の中でも、安土桃山時代~江戸時代初期に通用した天正大判や江戸時代の初期に通用した慶長大判などは特に有名な逸品です。

大判の金の含有量(品位)は70%前後で、そもそも貨幣というよりはインゴットの性格が強く、当時は貨幣としてよりも恩賞や贈答品として用いられていました。 さらに小判とは違い、大判の量目および品位を補証するために極印に加えて墨判が書かれていました。

大判の価値とは?

査定員

大判は、単に金の塊としての価値だけのみならず骨董品としての価値もあります。つまりどれだけ希少価値があるかという点が大切です。

当然大判は現在は生産されておらず、そのため数が限られており、さらに歴史的な資料としての価値等も相まって熱心なコレクターが存在します。 それゆえ需要がある上で希少性もあり骨董品としての価値が高くなっているのです。

歴史的観点からすると、幕末に鎖国から一転し貿易が始まった際に、諸外国に比べると日本の金は割安であり、外国商人はこぞって銀を大判小判に換金しました。

そのため大量の大判小判が海外へ流出し、量が減ってしまいました。このような経緯により歴史的にもコレクションとしての意味でも希少価値が高まる所以となったのです。

大判はいくらで売れる?大判の買取相場

大判

大判の種類と買取相場をいくつかご紹介します。

慶長大判

江戸時代初期の慶長6年(西暦1601年)より発行された大判で、徳川家康による天下統一がなされた時代です。墨書、金品位および発行時期などにより細かく分類されます。買取相場は、慶長笹書大判金であれば1000万円以上の高額になる可能性もあり、そのまま鋳造当時の墨書が残っていればさらに高値が見込めます。

万延大判

通用期間は万延元年(西暦1860年)から古金銀通用停止の明治7年(西暦1874年)まででした。表面には後藤十七代典乗の書で「拾両後藤」と墨書されており、買取価格は100万円~数百万円ぐらいになる可能性があります。

天保大判

天保9年(西暦1838年)から万延元年(西暦1860年)まで通用してました。金品位も享保大判に近く、吹増大判もしくは吹継大判とも呼ばれます。買取価格は500万円前後になる可能性もあります。

天正大判

安土桃山時代から江戸時代初期に、主に豊臣家が鋳造を命じ、江戸時代に入っても慶長大判と並行して通用していたといわれています。天正菱大判、天正長大判、大仏大判の3種類があります。

天正菱大判

世界中で6枚のみ現存し、たいへん価値のある大型の貨幣です。買取相場は数千万円~1億円までかなりの高額が見込めます。

天正長大判

豊臣家の命により造られた貨幣で、実際に流通させるためではなく、主に恩賞用でした。買取相場は数百万円~数千万円まで見込めます。

大仏大判

徳川家康の薦めで京都東山の方広寺大仏殿の再建を行なった豊臣秀頼が鋳造しました。買取相場は数百万円~数千万円まで見込めます。

享保大判

享保10年(西暦1725年)から万延元年(西暦1860年)まで通用していました。慶長大判と同等の品位に復帰し、初めて公式に通用価値が設定され他大判です。状態にもよりますが買取相場は100万円~数百万円ぐらいになる可能性があります。

元禄大判

元禄8年(西暦1695年)から享保10年(西暦1725年)まで流通していました。鋳造は江戸本郷霊雲寺近くの大根畑にある吹所で行われました。買取価格は数百万円前後まで見込めます。

小判の買取について

小判

大判に関しての紹介ですが、小判の種類や買取相場についてもいくつか例をあげてご紹介します。

元禄小判

元禄8年(西暦1695年)から享保2年(西暦1718年)まで流通していました。元禄金もしくは元字金とも呼ばれ、非常に希少です。買取相場としては200万円以上になる見込みもあります。

天保小判

天保8年(西暦1837年)から明治7年(西暦1874年)の古金銀通用停止まで流通していました。保字小判とも呼ばれ、表面には鏨により茣蓙目が刻まれています。現存数が少なく買取価格は10万円~数十万円ほどです。

慶長小判

慶長6年(西暦1601年)に発行されましたが、前年の慶長5年(西暦1600年)に既に鋳造が開始されていたという説もあります。初めての鋳造は銀座が設立され、幣制が成立した慶長6年前後とされています。金の含有量が約86%と非常に高く、江戸時代最初期のものであるため非常に価値のある小判です。買取相場は100万円以上になる可能性もあります。

享保小判

かの有名な8代将軍、徳川吉宗が将軍職に就いたのが享保元年(西暦1716年)ですが、それより少し前の正徳4年(西暦1714年)に発行されました。金の含有量は約86%とたいへん高く、買取相場としては数十万円です。

万延小判

万延元年(西暦1860年)から慶応3年(西暦1867年)まで通用されていました。新小判もしくは雛小判とも呼ばれます。発行枚数は多く、買取価格は10万円前後ほどです。

元文小判

元文元年(西暦1736年)から文政10年(西暦1827年)まで流通していました。文字小判とも呼ばれ、後には古文字小判もしくは真文小判と呼ばれました。金の含有量は約65%あり、買取相場としては約20万円ぐらいまで見込めます。

文政小判

文政2年(西暦1819年)から流通が始まりました。新文字小判もしくは草文小判と呼ばれ、金の含有量は約56%、買取相場は約20万円前後です。

大判を買い取ってもらうときの注意点

元禄大判

大判を買い取ってもらう際に注意しなくてはならない点がいくつかあります。 まず、そもそも大判の査定は骨董品的な価値を見定める必要があるため、はっきりとした買取価格を提示できない傾向があります。

そのため知識や経験が豊富な査定員がいる古銭買取専門業者に依頼するのがベストです。複数の買取業者に査定してもらい、比較するのもよいかもしれません。

鑑定書がついているのであれば必ず出しましょう。大判は偽物やレプリカも存在するため、正式な鑑定書は高評価になります。

さらに、大判が汚れているからといって磨いたり洗浄してはいけません。例えば下手に洗浄して墨書きが薄くなってしまった場合等には、かえって価値を下げてしまいます。 柔らかな布で表面のほこりを拭うぐらいにしておきましょう。

このように大判は骨董品としての価値もあるため慎重に扱いましょう。

まとめ

万延大判

大判の価値や買取相場について歴史的背景も踏まえつつご紹介しました。大判は金としての価値のみならず骨董品としての価値も大きく影響してくることが分かりました。

その歴史的価値も踏まえたうえで改めて大判の魅力を感じていただければと思います。

もし大判がお手元にあり、売ることをお考えなのであれば慎重に古銭買取専門業者を検討しましょう。

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