作家着物

  • 北出 与三郎

    (きたで よさぶろう)

    初代北出与三郎(きたでよさぶろう)は、1905年に福井県で生まれ、政財界の夫人へ向けた京友禅着物を作っていました。その後、時の皇太后陛下の目に止まり、1959年に「秋草に菊」、1960年に当時の皇太子妃美智子さまへ着物を作りました。その着物は、昔より神にお供えする榊(さかき)と呼ばれる植物を使用し、京都の北山で採取した後、着られる方の健康と幸福を願い伊勢神宮での祈祷を受けたもので染められ、その葉の色素で淡くも深みのある神秘的な色合いを出しているのが特色です。この色合いは後に「北出カラー」と称されるようになりました。
    また、1961年には柄が一方の方向を向いて付いていて逆さにならず、一つ紋を入れた「付け下げ小紋」とも呼ばれる「一方付色付け下げ」を発表しました。
    北出与三郎は着物だけでなく帯でも有名です。代表的な作品として本袋帯が挙げられます。京都・西陣で織られている帯のわずか「1%の希少価値」と言われており、裏表に関係なく糸は同じで細く円を描くように織られていて、耳と呼ばれる部分に縫い目がないのが特徴です。伸縮性に富んでおり、体にしっかり密着するため、着崩れる心配もありません。
    北出与三郎は2000年に逝去するまで、100枚以上の着物を皇室へ40年間収め続けており皇室御用達の作家として活躍してきました。現在では、ご子息が父の遺志を継いで2002年より二代目北出与三郎を襲名しています。

  • 北村 武資

    (きたむら たけし)

    北村武資(きたむらたけし)は、1935年京都に生まれ、京都西陣で機屋に勤務した後、1959年初代龍村平蔵展を見て感銘を受け、その日の内に龍村美術織物株式会社に入社、その後独立し、1965年伝統工芸日本染織展に初出品、日本工芸会会長賞を受賞しました。

    ある展覧会で中国の古代織に強い興味を抱き、それ以後、非常に繊細な織による羅(ら)や、羅と同じ紋織りで、密度の高いしっかりとした「経錦(たてにしき)」にも挑戦し、1995年には「羅」が、2000年には「経錦」が重要無形文化財に指定されました。

    現在でも北村武資は多彩な織の芸術を発展させるため古代織の再現に留まらず、新しい世界に挑戦を続けています。

  • 京屋 林蔵

    京屋林蔵(きょうや りんぞう)は、現在一八代目、京都の染物職人の初代が慶長3年に創業した老舗で、「京林」を屋号としています。

    京屋林蔵・京林は、室町時代後半から江戸時代初期にかけて流行したといわれる辻が花の復興に力を尽くしていますが、それだけに留まらず、全国でも他にはない結城を使用した手描法による、一点一点丹精込めた辻が花の制作も行っています。

    京屋林蔵の作品は一点制作で、一枚の着物の完成までに、一年あまりを必要とします。

    基本となる写実、図案起こし、絞り、ぼかしなど、それぞれの工程がひとつの手法として独立できるほどの奥深さをもつ辻が花ですが、丹念に作られた作品の美しさは、是非入手したい逸品です。

  • 久保田 一竹

    (くぼた いっちく)

    久保田一竹(くぼた いっちく)は1917年に神田に生まれ、若い頃より染色の世界に入り、友禅師小林清に師事しました。

    20歳の時、室町時代後半から江戸時代初期にかけて流行したといわれる辻が花染めに出会い、独自の研究を始めます。敗戦後のシベリア抑留を経験した後、40歳から本格的に研究を再開、60歳の時に一竹辻が花を創案し、1977年から国内外で作品展を開催、1990年フランス文化省が運用する名誉勲章 シュヴァリエ章を授与されました。2003年に逝去するまで、幾重もの重ね染め・重厚な絞り・独創的デザイン及び色調を基調とした作品を多数発表いたしました。

  • 城間 栄順

    (しろま えいじゅん)

    城間栄順(しろまえいじゅん)は、1934年先代の人間国宝・城間栄喜の長男として沖縄県首里市に生まれました。1959年首里高等学校を卒業後、家業の「琉球紅型」に専念し、その後、1963年に沖縄美術展覧会染色部門奨励賞を受賞、1965年には、沖展準会員に推挙され、1966年に沖準会員賞を受賞しました。
    城間栄順の作風は父親譲りの職人気質を受け継いでおり、なおかつ自然をこよなく愛する彼の性格から海、魚、珊瑚など綺麗な沖縄の海をモチーフにしたものが多く、一つ一つの細かい柄に、宇宙や大海のような生き生きとした躍動感と自然の繊細さとが同居しています。現在でも琉球紅型を代表する一人として新しい作品を作り続けています。

  • 龍村 平蔵

    (たつむら へいぞう)

    初代龍村平藏(たつむら へいぞう)は明治9年、大阪博労町の両替商平野屋の平野屋平兵衛の孫として生まれ、明治25年に西陣にて呉服商の道に進み明治27年に独立、30代の若さで「高浪織」や「纐纈(こうけち)織」など数々の特許を取得しました。西陣織に機械化の技術が導入されるようになると織り技術だけでなく図案にも注目し、起用された若手デザイナーの中には後に著名な日本画家の堂本印象などもいました。大正8年に初の個展を開くと、若き日の芥川龍之介が作品を絶賛し、龍村平蔵は織物美術という言葉を世間に広める立役者となりました。その後、昭和31年に日本芸術院恩賜賞を受賞、昭和37年に86歳で死去するまで、伝統的な西陣にあって新しい風を吹かせてきました。この初代平蔵のこの新しい風は、『龍村美術織物』『龍村織物』『龍村光峯』の3つに伝承され受け継がれております。

  • 辻村 壽三郎

    (つじむら じゅさぶろう)

    辻村壽三郎(つじむらじゅさぶろう)は、1933年に旧満州の錦州省朝陽で生まれ、幼少時より人形を作って遊びながら育ち、終戦の前年に広島市へ引き揚げました。1954年には母の死をきっかけに前進座の河原崎国太郎を頼りに役者を志して上京し、紹介で小道具制作の会社に就職しました。そして、1959年幼い頃からの趣味であった創作人形を一生の仕事と決意し、人形師として独立しました。1974年のNHKの連続テレビ人形劇「新八犬伝」にて人形美術を担当し、大評判となり脚光を浴びました。人形の世界にとどまらず、その一つに挙げられるのは着物ブランドの「ジュサブロー」は、桜やウサギなどを題材にした訪問着が人気で、独自の色遣いやデザインが鋭い美意識で辻村壽三郎の世界観が表現されていて多くのファンから支持されています。辻村壽三郎の着物は、ジュサブローブランドとして1993年まで京都にあるモダンキモノの老舗、「小田章」で販売されていましたが、契約が終了し、何年か前にブランドとしての商品作りも終了されたと言われており、現在では希少価値の高いものとなっています。

  • 中村 勇二郎

    (なかむら ゆうじろう)

    中村勇二郎(なかむらゆうじろう)は、1902年9月20日に生まれ、1915年父・兼松から伊勢型紙道具彫を学び始めました。卓越した技術を発揮していき、道具彫に使用される小刀の刃自体が、桜や梅などの花びらの形などになっている彫刻刀を三千本以上作り、自在に操ることができたと言われています。その細密な型紙使用して染められた古代菊の模様が描かれた江戸小紋の着物が代表作です。そして1952年に文化財保護委員会より「江戸小紋伊勢型紙」技術保存の指定を受け、1955年重要無形文化財(伊勢型紙道具彫技術保持者)に認定されました。また、1963年から後継者養成のための自ら講師をつとめ、指導者としても高い評価を受けました。1980年には全国植樹祭において当時の天皇皇后両陛下へ彫刻を実演で披露し、「古代菊ノ図」を献上しました。1985年に惜しまれつつ亡くなられていますが、いまだ伊勢型紙の歴史の中では確実にその名が刻まれています。

  • 羽田 登喜男

    (はた ときお)

    羽田登喜男(はた ときお)は1911年に金沢で生まれ、加賀友禅や京友禅を学び、1955年に第二回日本伝統工芸展に友禅訪問着「孔雀」初入選、1976年 藍綬褒章受賞、1988年重要無形文化財「友禅」保持者(人間国宝)に認定され、2007年に制作活動を終了するまで沢山の作品を残しました。羽田登喜男の代名詞ともいえる鴛鴦(おしどり)の文様はが大変人気が高く、京友禅の世界に、加賀友禅を融合させた独特の作風が特徴です。

  • 松井 清々

    (まつい せいせい)

    松井青々(まつい せいせい)は京友禅の作家で、初代は松井新太郎、2代目は松井祥太郎、現在は2代目の甥である松井淳太郎が3代目【青々】を襲名をしています。初代松井青々は明治37年京都に生まれ、大正3年小倉吉三郎師に入門し京友禅の技術一切を習得し、昭和5年より染織総合デザイナーとして独立後は通商産業大臣賞、京都府知事賞など多数受賞し、羽田登喜男と人間国宝の座を競ったぐらいの名作家でありました。平成元年、長男・祥太郎に「青々」を譲り、平成3年に逝去しました。

    平成元年1月より二代目松井青々を襲名した松井祥太郎は昭和7年松井新太郎の長男として京都に生まれ、昭和26年に京都市立美術大学(現市立芸大)日本画科へ入学し、日本画の知識を習得しながら、1955年頃に父の京友禅の習得を始め、二代目襲名後も精力的に活動、現在の松井淳太郎氏に 松井青々の名前を譲りました。

    【青々】の名は松の井の水とともに、松の緑がいつまでも青々と生き生きしているように、作風もそうであるようにとの願いが由来です。昭和38年のマツヰ染繍株式会社発足時から使いはじめ、今では京友禅を代表する名前の1つになっています。

  • 森口 華弘

    (もりぐち かこう)

    森口華弘(もりぐち かこう)は、明治42年12月10日生まれ、昭和から平成にかけて活躍した歴史に名を残す染色家であり、本名は平七郎と言います。

    平七郎は絵を描くことが好きな少年で、小学校を卒業して京都の薬局で丁稚奉公中に描いた絵を店頭に貼っていました。

    その絵を見た型絵友禅の図案を作る職人が才能を感じ、染色をやってみないかと誘ったのがきっかけで、京友禅師3代目中川華邨に住み込みでの弟子入りを決意します。

    その後は日本画も学び精進を重ね、博物館で出会った漆蒔絵に深い感銘を受けます。高度な漆工芸技法の一つである漆蒔絵を礎に独自の蒔糊技法を開発し、独特の様式を作りあげました。

    57歳の若さで友禅染めの人間国宝に認定されましたがあくなき探究心は衰えることなく、98歳で逝去する直前まで国際的にも評価の高い芸術的な作品の数々を生み出しました。

  • 由水 十久

    (ゆうすい とく)

    人間国宝・由水十久(ゆうすい とく)は大正から昭和末期に活躍した作家です。文学や芸能を題材にした作風は着物が好きな方であれば一度はその名前を聞いたこともあるかと思います。

    中でも有名な童子模様と呼ばれる、着物を着た子供を躍動的に描く作風で知られ、現在は息子が初代の作風を引き継ぎ二代目由水十久の名前で活躍しています。

    氏の作品は初代、二代目共に美術品と同格の芸術的な価値が高く、国内のみならず海外でも高い評価を得ており日本を代表する着物作家と言っても過言ではありません。

  • 六谷 梅軒

    (ろくたに ばいけん)

    六谷梅軒(ろくたにばいけん)は、1907年2月15日に三重県鈴鹿市に生まれ、1919年から父と兄・六谷芳方から伊勢型紙錐彫の技術を学びはじめました。そして1939年に型屋として独立しました。さらに1942年東京の小紋の名工・小宮康助のすすめで、さらに細密な極鮫・極通小紋を研究し、よく粒の揃った柄を仕上げてきたことは周りからも高く評価されました。1955年に人間国宝(重要無形文化財「伊勢型紙錐彫」技術保持者)に認定され、1963年三重県鈴鹿市の伊勢型紙伝承者育成事業の講師を始めました。
    鮫小紋、通し小紋など細密な紋様を得意とし、「浜ちりめん」、「鼓つなぎ模様江戸小紋」が主な代表作となっています。
    1973年に66歳で亡くなりましたが、現在父・初代梅軒のもとで修業してきた長男の博臣が2代目六谷梅軒として伝統の型彫りや染め技を受け継いでいます。

  • 和田 光正

    (わだ みつまさ)

    和田光正(わだみつまさ)は、1940年5月に京都市で生まれ、1955年1月繁山蕉之祐に師事し金彩印金技術の見習いとして修業しました。桃山時代から江戸時代初期に創作されていた金彩技法に興味を持ち、独立して工房を持ってからも研究と開発に時間を費やしてきました。そして絶対に剥がれたり、割れたりすることのない金彩技法の特殊加工に成功し、「金彩友禅」と命名しました。1971年2月に京都市で開催した「金銀の文様展」にて初めて発表し、創作活動の原点となりました。その後もイタリア、ドイツ、アメリカなどにてショー及び展覧会を開催し、1985年の6月にドイツのオルデンブルク市より栄誉賞を受賞し、同年12月には通商産業省・伝統的工芸品産業振興会から「伝統工芸士」に認定されました。1990年3月に「横綱千代の富士関・北勝海関」の金彩友禅の化粧廻しを創作しました。1999年9月に「夢蒔絵」、2003年9月に「光阿弥」を発表し、同年11月に厚生労働大臣より卓越技術者に贈られる「現代の名工」として表彰されました。名実ともに金彩工芸の第一人者として多くの方々に「金彩友禅」を知ってもらうため日本のみならず世界などで活躍されております。

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